食べる男と僕と

切っ掛けなんて、どこにでも転がっているものである。

僕にとって漫画は、親が漫画好きだったこともあり、物心ついた頃から常に隣にあるものだった。丁度ドラゴンボール幽々白書が全盛期を迎えていた頃で、雑誌はもちろん毎週購読され、兄が集めていた単行本を紙面が手垢で茶色くなっても何度も何度も読み返した記憶がある。いつか出せるようになると無邪気に信じて、よくかめはめ波や霊丸の練習をしたものだ。マガジンも購読していたのだけれど、その頃はカメレオン、特攻の拓、湘南純愛組といったヤンキー漫画を中心に隆盛していたので、親からも勧められない事もあってかあまり熱を入れて読む事がなかった。

努力・友情・勝利の三原則にどっぷり浸かり、親の血を継いで案の定視力が低下したジャンプ漬けの少年は、「漫画はバトルもの、もしくは野球やサッカーのようなスポーツのためにあるもの」と思い込んでいた。思い込んでいたと言うより、それ以外の世界を知らなかったと言った方が正しいかもしれない。そんな少年に転機が訪れたのは、一族の血を継いでいるのか同じく漫画が好きな親戚のお兄さんの家に行ったときだった。
カラフルな背表紙に、自分が知っている漫画のサイズより一回り大きく、小さな手には余るサイズの本が棚にズラリと並んでいる光景には、幼心に圧倒された。好きなのを読んで良いよ、というお兄さんの言葉を受け、何かに導かれるようにその単行本を手に取った。

EATーMAN 1 (電撃コミックス)

EATーMAN 1 (電撃コミックス)

まだ小学生であった当時の僕がその本を取り出したのは、タイトルのMANはわかるけどEATの読み方とか意味がわからない、といった理由だったと思う。イートマン。そう銘打たれた本の表紙では、コートを着た男がボルトを口に咥えていた。お兄さんが言うには、EATは食べる、という意味らしい。表紙の彼はボルトという工具を、それどころか作中ではあらゆる無機物を食べていた。そして食べたものを時には武器に、時には乗り物に変型・再生させ、冒険という名の仕事を言葉数少なめに格好良くこなしていた。その姿に瞬く間に虜になった僕は、飢えを満たすように夢中になって貪った。親にもう帰るからその本をお兄さんに返しなさい、と怒られるまでずっと手を離さなかった。家に帰った次の日にはなけなしの小遣いを握りしめて少し遠い本屋に走り、店内をウロウロしながら探し出し、棚の高いところにあるその本を店員さんに取って貰ってまで買ったのを憶えている。
当時は主人公であるボルト=クランクのアクションや再生のギミックにばかり目を向けていたが、中学・高校と小生意気な時期を経る頃にはストーリーの筋や起承転結の巧みさに気付く事が出来るようになり、そうなってからはますますのめり込んだ。

始まった物語は、いずれは閉じられなければならない。
9年の連載の末、物語の完結において、ボルトは自身に依頼された仕事をこなすために、遠く、遥か遠くへと行ってしまった。当時の僕の半生を共に歩んできたような作品だったので、深い喪失感を、広がった世界をたくさんの物語で埋めようと、様々な漫画に手を出すようになった。その世界が満たされる事はきっと一生無いのだろうが、徐々に喪失感は薄れていった。
EAT-MANは、今の漫画好きの自分を作り上げた大切な1ピースとなり、深く根付いている。

そんな僕のバイブルとも呼べるEAT-MANの続編が10年振りに連載されると聞いた時は、涙が出そうになるほどに興奮した。作者の中で、この世界で彼はまだ生きていたんだ。
10年。10年という時間は、まだ少年だった僕がいい大人になってしまう程度には長い時間ではあったけれど、彼にとっては瞬きひとつにも満たない時間であったかのように、誌上であの頃と何も変わらない姿を見せてくれた。僕の周りの環境や日々の過ごし方はあの頃とは随分変わってしまったけれど、この作品をバイブルだと言い切った僕の根っこの部分は何も変わっていないと言ってくれたようで、それが凄く嬉しい。今後も彼の行く末を見守りながら、僕も人生という冒険を続けていきたい。

今までの数々の壮大な仕事はオードブルであり、メインディッシュはまだまだ始まったばかり。さぁ、彼と一緒に冒険を始めよう。

EAT-MAN THE MAIN DISH(1) (シリウスKC)

EAT-MAN THE MAIN DISH(1) (シリウスKC)